水虫薬エフゲン誕生秘話

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エフゲン誕生秘話
 

驚異の特効率97.5%の水虫薬の誕生の裏側

 

オヤジの作る水虫薬


 

兵庫県と大阪府の県境に位置する市。
イラスト1兵庫県尼崎市。
人口密度は日本で上位に入ること街は、
阪神工業地帯の中核を担ういわば「工都」である。

そんな「工都」尼崎市にある小さな自動車修理工場から
水虫薬エフゲンの誕生秘話ははじまる。

水虫薬エフゲンを開発者は、”オヤジ”と呼ばれていた
今里 源太郎という、昭和気質の男だった。

今里は昭和30年代より自動車修理工場の経営者
であると同時に、自身も自動車整備士として働く、
地元では評判のまさに昭和のオヤジであった。

ただ…そんなオヤジにもただ一つの悩みがあった。

”水虫”である。

安全上から、毎日、鉄板で覆われた通気性の悪い安全靴を履いて働いていたため、
足の指はもちろん、土踏まずからかかとにかけて、今里はひどい水虫で、更に爪水虫にも冒されていた。

水虫は、高温多湿を好むため、このような安全靴を履いて作業する整備士にとっては、
まさに職業病みたいなもので、今里の会社の従業員も同じ悩みで悩んでいるものが数多くいた。


そんなある日、板金修理で預かった車の塗装を薬品で剥がしていた今里は、
ふと水虫で侵された皮膚もこんな風にポロポロ剥がすことは出来ないものだろうかと考えた。
市販薬を買って塗っても治らず、痒みが止まる程度の薬に何の価値があるのだろう。
「従業員の足。全員、俺がなんとかしてやらなあかん。」

もちろん、今里は薬学の知識を全く持ち合せていない。

ただ、この男の面白いところは、普通ならば諦めるところのが常人のところ、職人気質がそうさせたのか、更に水虫薬作りに没頭していったのである。
修理工場の片隅に設置した机には、試験管を並べ、「日本薬局方」という分厚い本を購入し、読書に更け込んだ。
そして、水虫に効きそうな薬物を一つずつ丹念に調べあげ、無謀にも自分で水虫薬を調合しはじめたのである。

 

イラスト2これには家族もあきれ顔だった。

「もうホンマ無理やって。
水虫が本当に治ったらノーベル賞もんやで。」
「父さん、大きな製薬会社が何年研究してもでけへんのに、できるわけあらへんやん。」
「もう、放っとき。」


そんな家族の冷たい言葉を背にしつつも、
今里は自分の足指一本一本に違う試薬をつけ続けた。

薬が効いて水虫が完治しかけた事もあったが、
今里はあえて水虫の人の靴下を借りてきて履き、
お湯の入った長靴を履くなど、
わざと水虫を悪化させることまでして、
次の試薬を試すということまでやってのけていた。

さすがの今里の奥さんも、この今里の行動には呆れ返り、
「せっかく治っとるのに、何しとるんよ。」
そう怒り気味に言ってしまった位だという。

このように、治してはうつし、うつしては治し、仕事を終えた後の静まり返った工場の片隅で治療薬の研究をした今里。

納得できる薬が出来上がった時には、既に10年の歳月が流れていた。

 

 

評判の水虫薬


 

今里の作った水虫薬は、今里のみならず、従業員の足も
配布きれいに完治し、従業員からも高い評判を得ていて、
従業員からも今里に相談がくるようになった。

「社長、わしな、こんなええもん、自分だけやなくて、
 困っとる方に分けてあげたいんやけど。」
「おぉ、構わん。構わん。使つこうてもらってくれや。」

こうして、今里の水虫薬で水虫が完治した従業員たちは、
次から次へと水虫に困っている人に声をかけ、
今里の作った水虫薬を無料で配りはじめたのだった。

薬事法を考えれば、このような事がまかり通るのも不思議だが、
制限がまだ今よりも厳しくなかったことに加え、
尼崎という街がこれを受け入れさせたのかもしれない。

いずれにしても、今里の作った水虫薬を使った知人や得意先から、
「これは効く。」「治った。」という評判が日増しに増え、
たくさんの感謝状も届くようになった。

ある日、感謝の声やお便りを見ながら、今里は、従業員にこう呟いた。

「俺な。もっともっとぎょうさんの人にあの水虫薬を使うてもらいたいんや。
 悩んでいる人は多いやろ?何かええ方法はないもんやろか。」

「そうですなぁ。薬局でっか?」

そんな従業員が言った言葉に、今里は一筋の光を見いだしたかのようだった。

「そうや!薬局に置いてもろたらええんや。」 
「いやいや。社長、またどエラい事を考えますなぁ。それには、お役所さんに認めてもらわなあきませんねんで。」

しかし、今里の耳には、そんな従業員の言葉は聞こえておらず、その目はこの薬をどう世の中に出そうかという一点のみを見つめていた。
 

 

エフゲンの誕生



 

今里藤田対談街の自動車修理工であった今里が、10年という歳月を
かけて作った水虫薬は、巷では効き目のある水虫薬として
評価を得たが、一方で薬局では売れない薬であったため、
まだまだ日の目を見るには多くの問題が山積していた。

特に大きな問題として立ちはだかったのは、厚生省の認可である。
当時、薬局で薬を売るには医薬品として厚生省の認可が必要で、
100例以上の医師の臨床データがなければ、
申請すら出来なかったからである。

しかも、いくら効くといっても、
所詮は町工場のオヤジが作った薬である。
無理もない。
臨床試験を受け入れてくれる医療機関を探すだけでも、
相当な難航を極めることになった。

しかし、事態は急展開する。

ある日、知人に神戸労災病院名誉院長の (故)藤田登先生を紹介してもらった今里は、
感謝状の山を持参し、これまでのいきさつを語り、その熱い想いを語り始めた。

「先生。ホンマに、よぉ効きますんや。
 わしな。困ってはる方に使つこうてもらえるだけで、ええんです。

「そうですか。ほな、一度、私が使つこうてみていいですか?」

「えっ、先生も水虫やったんでっか。」


こうして、今里の人柄と熱意に突き動かされた医師の藤田は、
自身もひどい水虫と爪水虫に悩んでいた事もあり、
まずは自分で効果を見てみるということになった。

そして、数週間が経ち、水虫に冒されていた皮膚がボロボロと剥がれ落ち、
それから数ヶ月もすると、なんと治らないと諦めていた爪水虫まで完全に治ったのである。

 「これはひょっとすると、すばらしい薬かも知れない。」

そう考えた藤田は、さっそく神戸労災病院の皮膚科や自身の門下生の医師に
臨床データを集めてもらうよう依頼し、臨床実験がスタートした。

そして、更に数ヶ月後。
その数値結果は、驚くべき数値であった。

驚異の有効治療率により、晴れて医薬品として厚生省にも認められ、
薬局、薬店で商品としてに並ぶようになったのである。


あれから40年。


エフゲンは水虫治療一筋で、薬局、薬店はもとより百貨店でも販売され、
またインターネットでも販売されるようになり、
よりも多くの人から愛され、喜びと感謝の声が届くようになった。

「困ってはる方に、使つこうてもらえたら。」

知らず知らずのうちに、今里のこの精神は、水虫以上に根深くスタッフの心に根付き、
1本1本丁寧に時間と手間をかけて作るだけでなく、心からお客様に接するという企業文化を紡ぎ出している。

(終わり)

 

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